『下流社会』とロングテール

今日から 12 日間の米国出張。最初をボストンで過ごし、サンフランシスコに少し立ち寄った後、ダラスに行って帰国するという日程。

これを書いているのはワシントンDC行きの全日空の機内。ニューヨーク便なら Connection by Boeing を使って機内でもインターネットアクセスが可能だが、ワシントンDC線にはそういうサービスはなく、機内での時間を淡々とすごす羽目に。おまけに昨日は大阪で結婚式に参列したため、スタートが伊丹 → 成田 → ワシントンDC → ボストンと計15時間近くを機内で過ごす一日。伊丹を出たのが午前8時で、15 時間近くのフライトと 3 時間の待ち時間を経てボストンに着くのは午後3時前。一日がずいぶん長い。

機内で暇つぶしに読んだのが、光文社新書の『上流社会』。著者は三浦展

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

著者のいう「下流」が本書冒頭に記載されているので抜粋する。

下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。

著者は「階層意識別の消費行動の違い」、特に「いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれる現在の 30 代前半を中心とする若い世代における『下流化』傾向」が見られていると指摘している。所得の二極分化が進む中で、「社会全体が上昇をやめたら、上昇する意欲と能力を持つ者だけが上昇し、それがないものは下降していく」と。

本書にはどうしてこうなったか、何故「下流化」が進んでしまったかについては記されていない。この点については、酒飲み話としては延々と議論が尽きなくて手ごろな話題かも知れないが、マーケティング畑出身の著者にとっては深く議論しても仕方ないことなのだろう。本書の紹介には「消費社会論」と謳われており、本文中にもいくつかのアンケートや Web 調査結果による分析が記載されているが、いずれも母集団の数が少ないために仮説を補強する程度にしか思えず、「消費社会論」という呼び名は大仰でふさわしくない。

むしろ、本書をマーケティングの際に必要なセグメント分析、クラスター分析の一例としてみれば、今まで見えていなかった層が顕在化され、そしてそこには(当事者にとってはあまりありがたくない)呼び名がついたのである。そういう視点で読むと、B2C 向けのマーケティングの現場をあまりよく知らない僕にとっては有用な分析である。本書では、日清食品が 2004 年 9 月期決算発表の場での「今後の日本人は年収 700 万円以上と 400 万円以下に二極化する。700 万円以上の消費者向けに高付加価値の健康志向のラーメンを、400 万円以下の消費者向けに低価格商品を開発する」という発表など、企業のマーケティングにおける実例がいくつか引用されていて(対照的な例としては、トヨタによるレクサスブランドの投入)けっこう参考になった。

この層を顧客層として狙いに行く戦略を考えるのと、Long Tail を狙えるインフラをもったプレイヤーは重複したポジションにいるのかもしれない、というのが読後の直感的な感想。