「日本経済新聞は信用できるか」東谷 暁

「バブル」「グローバル・スタンダード」「成果主義」「IT革命」「構造改革」「中国経済」を無責任に煽ってきたのは……

日本経済新聞は信用できるか

日本経済新聞は信用できるか

著者である東谷氏は、1997 年頃経済関連の記事執筆依頼が増えるにつれ、漠然と読んでいた日本経済新聞(以下、日経)を集中して読むようになった。取材や他の資料から浮かび上がってくるイメージと日経各紙の方向付けのズレに違和感が膨らんでいき、この本の元になる原稿を書き始めた。

著者の言い分は、300 万部に達する発行部数を誇り、ビジネスマンはもとより官庁の職員や専門の経済アナリストまでが、経済観察の最大の指標としている日経が、さまざまな事柄をブームとしてあまりに無責任に煽ってきたという点である。

最終章にいたるまで、バブル成立過程のおける無責任な煽り、日本型経営の賞賛と攻撃、グローバル・スタンダードという和製英語による煽り、「IT革命」における一呼吸遅れた煽り、中国ブームの演出などを過去の日本経済新聞の記事を数多く引用しながら指摘している。

ほかでもない、日本経済新聞が奇妙なのは、こうした最も重大な経済マスコミとしての責任問題に触れることなく、「みんなが」とか「ほとんどの人が」と述べて一般大衆と自らを同じ平面に置き、報道を専門としていたはずの自社の責任を、何食わぬ顔で回避してしまっていることなのである

日本経済新聞の不見識と無節操がなによりもよく現れたのは、「IT革命」をめぐる報道とキャンペーンだった。いまだに、IT革命はそれなりの取材と分析があって紙面を飾ることになったと思い込んでいる人が多い。しかし、実際には九九年になってから、日本経済新聞によってあわただしく祭り上げられた流行語に過ぎなかった。

日本経済新聞社の各紙が「アメリカ」あるいは「世界」を模範として何かを論じ始めたら、いちおう疑ってみるべきなのである。

最終章「日本経済新聞の「正しい」読み方」には、文字通り、日経を読む上での注意点が記されている。その一つに、次の三段論法(日本・消費者・アメリカ)に気をつけよ、というのがある。

  1. 消費者にとっていことは、日本にとってもよい
  2. アメリカが望むことは、日本の消費者(国民)も望む
  3. だから、アメリカが望むことは、日本にとってもよい

なるほど。

私は、日本経済新聞の真面目な読者ではないが(新聞で読むより、Web で読むほうが多い)、仕事柄、日経BPが出版している日経コミュニケーションとか日経コンピュータというような雑誌は割と目を通す機会が多い。そういう雑誌は、まあはっきり言ってしまえば、この本での指摘とあまり変わらない煽り系の雑誌である(煽り方が少々違うけれど)。

で、どう対処しているかというと、そういう雑誌は煽り系メディアであると初めから認識しておき、本気で調べたいことがあれば、複数のメディアやデータにあたるのである。それなりの取材と分析に基づいて正確性と公平性を保ちながら記事を書かなくちゃいけないけれど、読者側が刺激的な新しい情報を欲しがっている以上、雑誌を作る側としてはいささか煽り気味に読者側のリクエストに応えざるを得ない、というような話をその昔、この手のIT系の雑誌編集者から聞いたことがある。

そういう意味では、日経というメディアも煽り系の記事が紙面の半分を埋めているメディアであるという認識にたって読めばよいのである。また、日経に限った話ではなく、他の新聞・テレビなどのマスメディアすべてに当てはまる話でもある。マスメディアとは社会の公器としての公平性を保つべしという認識はいい加減どうかと。神のご神託ではないのだから、客観的で公正な情報が上から降ってくるというは、そろそろ考え直して、インターネット等に代表される他の情報ソースを複数参照することで客観性の高い視点を得るように、読み手側の意識を変えていくことが必要なのでは、と思うのである。