コンプライアンスを超えて

もうすぐ、個人情報保護法が本格施行される。そのせいだかどうだか知らぬが、コンプライアンスに関する話を聞くことが多い。その多くがコンプライアンスを確保できないとと不祥事を起こす企業になる、つまり、しつけの悪い子は不良に育つ、というような論調が多いように思う。

村上龍が編集長を務める JMM というメディア(メルマガ)がある。

JMM (Japan Mail Media)
http://ryumurakami.jmm.co.jp/

3/18 に配信されたオランダのハーグに在住する化学兵器禁止機関(OPCW)訓練人材開発部長である春 具(はる えれ)氏のエッセイにこんな話があった。全文引用すると長いので、要約してみる。

馬鹿は死ななきゃ直らない、という言葉があるが、子供の世界ならともかく、大人の世界でも学習できない人はたくさんいるようである。

例えば、最近辞任したフランスのエルベ・ガイマール財務大臣(44歳)。彼の場合、財務大臣として国民に向かって財政危機対策のため国民負担が大きくなるが我慢して欲しいといいながらも、パリの一等地の月180万円のアパート等を公費でまかなっていたことが判ったのが、辞任のきっかけ。この辞任は 1990 年代のアラン・ジュペ首相の辞任と同じ事情である。

また、セクハラ疑惑で辞職した難民高等弁務官のルード・ルベレス氏。元オランダ首相。部下の51歳の女性への接し方が問題となり、事務総長から叱責を受けて、事実関係を調査していた。しかし、この件をイギリスの新聞が調査委員会の報告書をすっぱ抜いたため、侮辱に耐えられぬと辞任へ。これについても同様のケースが過去に国連であった。凄腕のラテン・アメリカ出身の事務次長が、会議の後にアメリカ人の女性スタッフに触ったとかで、訴訟となり、結局敗訴し、辞任して国に帰ったという話が数年前に起きていたのである。

いずれのケースも、前例となる事象は、忘却の彼方にあると称するには最近のことである。

ここで部分的に引用を。

公務員の倫理に関するOECDガイドラインというのがあります。これはもともと国家公務員の行為規範として作られたものであるが、国連などの国連組織に籍を置くわたくしどもにも同様に通用する内容で、そのなかに以下のような一節があります.

公務員の行為は、規則に準じているというだけでは十分ではない。コンプライアンス制度というのはそれだけでは規則に違反しなければ合法であり、合法ならば許されるという考えを生じやすい。そうではなく、公務員は公務の価値を認識するべきで、雇用者は訓練を通してモラルの意識を植え付け、非合法すれすれの状況に対応するスキルを身につけさせるべきである。

つまり、合法であってもその先に「公務員の倫理」という、世間さまが普通より少し高くあるべきと考えている価値基準があるのであり、法の塀の上を歩いて下に落ちなければいいということではないのであります。ガイマール氏やルベレス氏は結局のところそういう世論の基準で落馬したわけですが、ヨーロッパの世間は政治家に対してそういう敷居の高い基準を求めるものであります。

で、ここに記載された「法律に抵触しないからといって許されるものではない」という物事のあり方が、政治家や公務員のみならず、ビジネスの世界にも広がってきている。

例えば、最近辞任したボーイングの社長、ストーンサイファー氏のケース。数年前の入札がらみのスキャンダルからの再建途中にあるボーイングに新たなコンプライアンスカルチャーを植え付ける、と宣言していたにもかかわらず、彼が女性幹部とねんごろになってしまったために、ボーイングの役員会はストーンサイファー氏を解任したという話。

ガイマール氏、ルベレス氏、ストーンサイファー氏のそれぞれのケースは法律や内規に違反しているものではないが、「法律に抵触しないからといって許されるものではない」という物事のあり方が広まってきている徴なのではないかと。

また、部分的に引用を。

だから、といって、わたくしはここで「セクハラをするな」とか「不倫をするな」とか「公金でいい思いをしてはいけない」とか言おうとしているわけではありません。倫理的にセクハラは悪いのだとお説教を垂れるのはわたくしの仕事ではないし、あなたが不倫でしくじってもわたくしの知ったことではない。また、わたくしは監査人でもありませんから組織の会計に首を突っ込もうという意図もありません。逆に、わたくしのオフィスも毎年監査を受けるが、その手続きの面倒さとネチネチした質問に悲鳴をあげているくらいなものであります。そうでなくてわたくしが言いたいのは、イメージというのは一人歩きするもので、そのことに足を引っ張られると本来するべき仕事ができなくなる、そのことを言いたいのであります。とくに管理職とか大臣のレベルになると、ひとりの事件ではおさまらず、相当数のまわりの人間たちが巻き込まれることになる。

これも「ウオールストリートジャーナル」ですが、北朝鮮のいわゆる脱北者についてUNHCRは何をしてきたかという論説がありました(2月23日)。4年ほど前に、中国へ入り込んだ脱北者たちが北京のUNHCRのオフィスに逃げ込んで亡命を求めたことがあって、そのときは彼らが「亡命を助けてくれなければ、ここでポケットにもっている猫いらずの薬を飲むぞ」と叫んだために、事務所が交渉に動いたということがありました。その事件のフォローアップ記事のインタビューのために記者がジュネーブのHCR本部に行ったら、「(セクハラ事件で)忙しいこんなときに、なんで北朝鮮なんだ?」とスポークスパーソンに言われたというのです。これはまずいですよ。スキャンダルでかまけて、広報官が広報という仕事ができないのである。仕事になっていないのであります。よけいな事件で本来の仕事ができていない。取材に来た記者にこういう記事を書かせてしまうくらい動転していたわけで、そのことのマイナス面の方がずっと重大だ、とわたくしは思う。わたくしはビル・クリントンという大統領がそれほど好きではないのですが、それは彼がモニカルインスキーのスキャンダルにかまけてエネルギーをとられ、本来ならば集中して取り組めたはずの問題(中東、朝鮮半島、アフリカ、旧ユーゴ)などを未解決のまま舞台を降りてしまったからということがあります。

エッセイはこの後ほどなく終わっている。

「法律に抵触しないからといって許されるものではない」という物事のあり方が広まってきているというのは、コンプライアンスを超えた倫理観のような価値基準を持たないと本業の活動を確保できなくなってしまうという、非常に明文化しにくい状況になってきていると解釈できるかと思う。

このような状況への対応を、ビジネスの世界でどのように実装していくのかについて、過去に同様のスキャンダルや不祥事のあった企業での取り組みとして知りたいものである。

本当に、馬鹿は死ななきゃ直らないものなのだろうか?