非連続的な変容への対応と「文脈」
今週はアメリカ出張で、今はカリフォルニア州パロアルトのホテルにいる。
成田からサンフランシスコへの飛行機の中で、村上龍の『ハバナ・モード』というエッセイを読んだ。最近、出張の際の機内で読む本には、長編でヘビーなものはあまり適していないことに気づいた。そういう類の本を読み続けるのはちょっとした集中力を必要とするのだが、出張の場合、そういう気力がなくなっているのが常である。いろんなことを細切れにこなさなければならない日々が続く、という環境も影響する。というわけで、今回の出張にはこの『ハバナ・モード』と村上春樹の『東京奇譚集』と、あともう一冊、仕事関係の本をぱらぱら眺めるために持ってきた。
この『ハバナ・モード』のかなり後の方で、村上龍が、自分の原作の映画について触れている部分がある。村上氏自身が小説で指摘してきたことを次のように述べている。
(村上氏自身がずっと小説で指摘してきたことについて)じゃあ何なのかと言われても、うまく答えられないのだが、そもそも批判とか警鐘とか生き方とかそういったものではなく、パラダイムというか文脈というか概念というか、そういったことに対しての違和感ではなかったかと思う。
ここでいう「文脈」を説明する例として、終身雇用システムの変容という現象に対するマスメディアの対応、が挙げられている。
終身雇用で会社から庇護されるという時代が終わろうとしているので、つい資格とか海外の学校とか起業を考えるわけだが、そのときにマスメディアでは、「終身雇用で守られる時代が終わろうとしているわけだが、それでは新しい時代に求められる資格とはどういうものだろうか」というような設問がなされる。しかし、問題意識としてはまともかも知れないが、文脈が旧来と変わっていないので、設問そのものに意味がない。
この部分を読んだときに、先日参加した、新潮社のフォーサイト誌による梅田望夫氏の講演を思い出した。
- フォーサイトクラブ・セミナー「ウェブ社会『大変化』への正しい対応・間違った対応」梅田望夫さん講演ログ
- http://d.hatena.ne.jp/pekeq/20050916/p1
梅田氏は、この講演のなかで、ネット新時代に対応するための 7 原則を挙げている。講演全体の詳細は上のエントリからたどって読んでもらえればよいのだが、その中の一つに「新しい現象に対し、『古い感覚を総動員した理論武装』で戦うな」ということを挙げている。
5.新しい現象に対し、「古い感覚を総動員した理論武装」で戦うな
フォーサイト読者に言いたい
読者は一つ前の世代で最も優れた人が多い
一つ前というと失礼だな。今の世界でもっとも優れた仕事をされている方々
一つ前の世代で最も優れた人が、新しい世代でもっともやっかいな人になる
これがもう大変な問題
自信があるから何でもわかるとおもっているんだけど、
一つ前の考え方で理論武装して戦ってくる
これがえらいことだ。
これが大変なパラドックスになっていて、ここをどうにかしないと
時間の優先順位を変えて、一番大切なものを捨てなくちゃいけない
この村上氏と梅田氏の話は、僕にとってはたまたま偶然に近い時間の中で接したことだったのが、同じことを指し示している(ように見える)。ここには2つの問題(といっていいのかな)が含まれている。1つは、例えば「マスメディア」や「今の世界でもっとも優れた仕事をされている方々」は、なにか大きな変容、それも非連続的な変容に対してどうやって対応すればよいのかという点。もう1つは、そういう人たちに対して、別の世界観の中にいる人達は、どのようにそういう人達に相対していけばよいのか、という点。これらはいずれにしても、絶対的に有効な解、というか統一的な手法というのは存在しないのだろう。ただ、そこには個人の個別性を前提としたコミュニケーションスキルと、持っているものをいったん留保するなり、全部棚卸してしまうなりの潔さのようなものは、わりに高い確率で必要とされるのでは、と思う。
機内で読んでたエッセイにたまたまこういうものが含まれていたのは、アメリカ出張へのスイッチの切り替えとしては、ちょっと良かった。